ぴーちゃんのお散歩

お花見をしていたら
お散歩中の豚のぴーちゃんに出会いました

のんびりテクテクかわいい子

しっぽがクリンと円を描いて
わんこを怖がる姿もキュート

ぴーちゃんの突然の出現に
終わりかけた桜のお花見を楽しむ私たちの胸は
キュンと沸きました

のんびり、マイペースなものと触れ合うと
癒されるな~


kizuki-memorise

心の中、気持ちの中は
終わりがないほどレイヤーを重ね
複雑に入り組んでいて
自分の心なのに、自分の心には
触れられていない未知な部分がたくさんあるんだな…
ということに、様々な気持ちがめぐる中で
最近、よく気付かされる

“心の襞”とはよく言ったもので
様々な形と厚さや広さを持った襞が
年をとるたびに、皺のように増えていく気がする
良い経験も、つらい経験も
すべての経験と、その経験をどのように捕らえたかが
襞の形を決めていく気がする

複雑な形をしてしまった襞は
じっくり時間をかけて対峙してみないと
表面的な感情の、その裏にどんな感情があるのか
自分自身の心なのに、なかなか触れてあげることができなくて

一人で対峙してみるより
信頼している誰かと、安心な空気の中、言葉を交わす中で
「あぁ、こんなところに泣いている子がいる」
ということに気がついたりする

そんな部分に触れてみることで
大丈夫だ…と安心することもあるし
傷口が想った以上にヒリヒリと痛み
まだ、そっとしておいてあげなきゃいけないんだな
と思うこともある

でも、まだ気がついていない襞の内側も含め
その全ての襞達は
自分が生きてきた軌跡だから
どれも愛しい

でも、大切に育んでいきたいのは
春の陽だまりみたいに
無条件に優しくて安心で平和な襞達

年を重ねるたびに、
そんな、柔らかで温かな襞を
増やしていけたらと想う

そして、想うのは
襞というものは
決して自分ひとりで全てを作ってきたものではなくて
経験や感じ方によって形作られるから
人や環境からも、強く影響を受けていると言うこと

だから、そばにいて一緒にいる人は本当に大切
どんな場所で日々をおくるかもとっても大切

必要以上にがんばらなくてよくて
自然でいられる
想うだけで、シアワセな気持ちが心を包む
“水の合う”人や環境の中に一緒にいようと思う

この10年
様々な色や温度や流れを持った水の中で
荒行をする冒険家のように
よく笑い、よく遊び、よく泣き、よく感じ
とにかく、とにかく、よくがんばったと思う

           *****

10年後の器は
今までの自分なら、作らないような
全く棘のないもの、奇をてらわない
シンプルで、ナチュラルで、健康的で
とても、優しいものに仕上がりはじめている

あとは、花々の器たちを
ピンク色に染めて焼き上げれば完成

冒険を通して
様々なものが過ぎ去ったあとに
ふんわりとした平和な平原、お花畑が待っている
ひとつの山を登りきるまで後もう少し

きっと、新たな10年は
こんな穏やかな10年を過ごすのだと思うし
そう、過ごすのです