天神島にて想うこと

 
佐島の天神島にはじめて足を運んでみる。
浜辺にかわいらしいお花がいっぱい咲いていて、
雨模様だけれど、夢中でずんずん島の中に進みたくなってしまう。

野性的に育つ木や草や花達を横目に、
荒っぽい海風を受けていると、
これ以上に美しいものはないし、
自然には到底かなわないと感じる。

季節が巡ると種は芽吹く、
草花はいつも同じくらいの時期に咲くし、
そして、また種をつけて枯れ、
……また季節は巡る。

大きな自然の中にいる生きる物全てが、
自然そのものでありながら、
その他の自然の力をちょっとお借りしながら、
その場所に住み心地の良いように暮らしているのだなと感じる。

蟻さんが土を掘って心地のよい住まいをつくるように。
鳥さんが小枝を組み立てって心地のよい住まいをつくるように。
植物達がその場所に根を張って心地よく居住まいを整えるように。


人間も、ちょっと土を掘ったり盛ったり、
近くから木を頂いてくるなどして心地のよい住まう場所をつくる。

 「ちょっと拝借」

という感じでうまくやればいいのではないかなと思う。
あんまり奢り高ぶらずに、己を過信しすぎずに。

そういうふうにしていれば、
きっと、長く自然にいるみんなと仲良くやっていけるし、
健康的に、何世代先にもそういう生活を紡いでいくことができるのだと思う。

ただ、それだけのことをできたらいいのかな。
そういうふうには生きられないのかな。

きっと、100年前まではそういうふうに生きていた。
たった100年前。白洲正子さんの時代だ。
エジソンが電球を普及させ始めたのもたった130年前。

ちょっと速すぎたペースをちょっと新しく変える。
元にはもどれないけれど、少しどうしたらいいのか立ち止まって考える。
考えながらちょっと進む。
いいものは残しながら、
「ちょっとやり過ぎちゃったかな?」ということは、
反省しながら、徐々に無くしていくなどする。

少しみんなで、マイペースを取り戻したり、
ほんのすこし暮らし方や住まい方をシンプルにミニマムに。

仲良くみんなで暮らし続けるために、
今からでもできることがきっとある。